岐阜市にある琴塚古墳は、岐阜県内で3番目の規模を誇る大型の前方後円墳です。全長約115メートル、後円部径約68メートル・高さ約10メートルという巨大な墳丘が5世紀後半に築造されたとされ、現在は国の史跡に指定されています。二重の濠をめぐらせ、葺石や円筒埴輪が据えられたこの古墳は、周辺に伝わる古墳時代のロマンや歴史的背景が興味をそそります。本記事では、琴塚古墳の構造・出土品・被葬者伝説に加えて、最新の調査状況や現地へのアクセス情報など、琴塚古墳の魅力を余すところなくご紹介します。
目次
琴塚古墳とはどんな古墳?
琴塚古墳は岐阜市の東部、金華山の南東に広がる台地の端に位置する前方後円墳です。古墳時代後期の築造とされ、古墳全長は約115メートルに及び、岐阜県内で3番目の大きさとなっています。築造当時の周辺は平野でしたが、周囲の環境も変化して現在は住宅地に囲まれています。琴塚という名称は地域の古い呼び名に由来するといわれ、かつてこの地には五十琴姫命(いごとひめのみこと)という伝承上の人物にちなむ地名「五十琴(いごと)」がありました。この五十琴姫命は景行天皇の后であったと伝えられ、被葬者についての伝承が今も語り継がれています。
- 形状:前方後円墳(全長約115m)
- 築造時期:古墳時代後期(5世紀後半)
- 規模:後円部径約68m・高さ約10m、前方部幅約74m・高さ約7~8m
- 特徴:二重濠・葺石(石敷)・円筒埴輪が存在
- 国指定史跡:1934年(昭和9年)指定
また、琴塚古墳の位置は岐阜市中心部から東の郊外にあたり、金華山が近くにそびえる場所です。周辺には柄山古墳や南塚古墳・土山古墳などの前方後円墳群が点在しており、この地域一帯が古墳時代に有力者の墓所となっていたことがうかがえます。琴塚古墳は国道や主要道路からも離れていますが、市内バスや自家用車でアクセスできるため、歴史ファンや観光客の注目スポットの一つとなっています。琴塚古墳に訪れる際には、近隣の歴史公園として整備されている琴塚公園から周囲を散策することができます。公園内には古墳の概要を説明する案内板や「琴塚御墓碑」などの史跡碑も設置されており、古墳の持つ歴史的雰囲気を感じられます。
琴塚古墳の構造と特徴
琴塚古墳は前方部(四角)と後円部(丸)の両方を備えた格式高い前方後円墳で、その巨大な墳丘は三段築成になっています。後円部側が高さ約10.8メートル、前方部側が約7.8メートルと、後円部の方がやや高くなっており、墳丘全体の標高は約20メートルです。前方部と後円部をつなぐくびれ部の両側には幅約6メートルの造出し(突出部)が設けられており、古墳築造当時から儀礼的な意味を持つ構造と考えられています。
琴塚古墳最大の特徴は墳丘をめぐる二重の濠です。内濠は幅約18~32メートル、その外側に幅約7.2メートルの外濠が連なっています。現在は外濠の大半が埋め立てられていますが、内濠は原型がほぼ残っており、築造当時の姿をうかがわせる貴重な構造となっています。墳丘の際には築造時の葺石(石敷)や円筒埴輪列が確認され、葺石は墳丘の雨などによる崩壊を防ぎ埴輪は被葬者の儀礼を象徴していたと考えられています。
前方後円墳としての形状と規模
前方後円墳は古墳時代を象徴する巨大な墳形で、琴塚古墳はその代表例の一つです。全長約115メートルという大きさは岐阜県内では薮田城山・山下古墳に次ぐ規模であり、被葬者が有力者だったことを物語ります。後円部直径約68メートル・高さ約10米という比率は前方部よりも大きく、5世紀後半に全国的に完成度が高まった前方後円墳の典型とも言えます。南南西から北北東に延びる主軸は当時の地形や標高差なども考慮した配置とされ、墳丘上には周囲の景観を見わたせるよう工夫が感じられます。
二重濠と段築
琴塚古墳最大の見どころは二重の濠です。内濠は幅18~32メートルもあって幅広く、外濠は内濠の外側に約7~8メートルで巡ります。古墳周辺は浅い台地になっており、周囲から水を引くように設計された可能性があります。築造当初は二重の濠が防衛的機能だけでなく、儀式的・象徴的にも重要な意味を持っていたと考えられ、濠を含む豊かな景観は被葬者の身分を表すための威厳と考古学上の大事な遺構です。現在でも、琴塚公園内から二重濠の一部を見ることができ、遺構の形状を想像しながら散策できます。
葺石と埴輪
墳丘を覆っていた葺石(ふきいし)や円筒埴輪も琴塚古墳の特徴です。古墳築造当時に敷かれた葺石は現在、墳丘斜面に一部露出しています。葺石は墳丘の崩壊を防ぎ、古墳の威容を高める役目を担いました。また墳丘上には埴輪列がめぐり、平坦面には円筒埴輪、人形や馬・船などの形象埴輪が立てられていたと推定されます。実際に墳丘周辺からは大量の円筒埴輪や人物埴輪などの破片が発見されており、いずれも5世紀後半の京都府・大阪府の有名古墳に見られる埴輪と同様の様式であることがわかっています。これらの遺物は埴輪祭祀の痕跡として重要視されており、被葬者が当時の有力豪族であった可能性を示唆しています。
琴塚古墳の伝説と文化財指定
琴塚古墳には、被葬者伝説が語り継がれています。地元ではこの古墳が、景行(けいこう)天皇の妃である五十琴姫命の墳墓(いごとひめのおはか)だと伝えられてきました。そのため古墳周辺の地名も「五十琴(いごと)」が変化して「琴塚」となったともいわれます。ただし、現在まで本格的に発掘調査が行われておらず、被葬者の実証はされていません。伝承は口伝や古文書などで伝わるのみで、歴史的には未確認の事項として大切に扱われています。
被葬者伝承:五十琴姫命
五十琴姫命は景行天皇の妃として物部氏(もののべうじ)出身の皇族と伝えられています。『高屋山陵記(たかやさんりょうき)』などの伝承では、姫は景行天皇とともにこの地・岐阜(当時は岐阜に近い美濃国)を巡幸し、その後この地で亡くなったという話が残っています。この伝承が古墳伝説と結びついた可能性が高く、琴塚古墳が姫の墓とされたのは明治時代頃からの言い伝えです。ただし学術的には遺物による裏付けがなく、古墳時代の有力者であった可能性はあっても、伝承は伝承として現状は区別されています。
明治の保存活動と史跡指定
琴塚古墳は明治時代に保存運動が起きるまで、周辺の耕作開発によって消滅の危機に瀕していました。廃藩置県の混乱期にもかかわらず、地元の豪商・足立太助(あだち たすけ)が私財を投じ、古墳周辺の土地を買収して岐阜県に寄付しました。その後、県は土手を築いて石垣護岸し、今日に見られる形の保護措置を行ったと伝えられます。こうした動きによって古墳は開発から免れ、1934年(昭和9年)には国の史跡に指定されました。現在は岐阜市が管理主体となり、市教育委員会の文化財保護課が見学者向けの案内整備に努めています。
琴塚古墳の出土品と発掘調査
琴塚古墳は発掘調査が未実施のまま今日に至っているものの、これまでの調査や報告から出土品や当時の状況が一部わかっています。古墳表面の耕作や保存活動の過程で、墳丘から円筒埴輪や形象埴輪、勾玉(まがたま)、銅鏡片、石槍や鏃(やじり)などが発見されたと報告されています。円筒埴輪や土師器片は墳丘の斜面外側で多く見つかり、埴輪列が配置されていた痕跡と考えられています。ただし墳丘内部の盗掘穴などは確認されず、被葬者を正確に究明するには至っていません。
現在の発掘調査状況
琴塚古墳では正式な学術発掘がこれまで行われていません。そのため墳丘内部の埋葬施設や人骨の状況などは不明です。内濠や墳丘自体は手付かずで残され、発掘調査をすることで一層詳しい歴史が明らかになる可能性があります。岐阜市教育委員会によれば、周辺公園の整備や保存対応が最優先とされ、現時点では学術調査より古墳を守る取り組みが優先されています。今後の研究計画は未定ですが、表面観察や空中撮影による測量も行われており、地形や構造の解析は少しずつ進められています。
出土品からわかること
出土した埴輪・勾玉・鏃などの遺物は、琴塚古墳が5世紀後半頃に築かれたことを示しています。出土品には福岡県や大阪府で出土した同時期の古墳と共通する特徴があり、全国的にも整った形の埴輪類が確認されています。また石槍(いしほこ)や鐔(つば)の一部などは被葬者の権威や軍事的背景を示す可能性があり、被葬者が有力豪族だったと推測させます。ただし、これらは古墳の外側や周囲からの拾得であり、盗掘を免れた内部構築の詳細は依然として不明です。遺物の状態が良いものは岐阜市内の教育施設などで保管・展示される見込みで、これからの保存・研究が待たれます。
琴塚古墳へのアクセスと周辺観光
琴塚古墳への公共交通アクセスは、市中心部から利用する場合、JR岐阜駅または名鉄岐阜駅から岐阜バス(岐阜市内循環バス「長良橋」系統など)に乗車し、「佐兵衛新田(さへいしんでん)」バス停で下車すると便利です。バス停から古墳までは徒歩約5分程度です。車の場合は東海北陸自動車道・岐阜各務原インターチェンジが最寄りで、そこから岐阜市街方面に進み国道21号線経由でアクセスできます。周辺には小規模な駐車場も点在しているため、マイカーで巡る歴史散策も楽しめます。
所在地と交通アクセス
琴塚古墳は岐阜市琴塚3丁目に位置し、Googleマップで「琴塚古墳」と入力すれば現地まで案内が表示されます。岐阜市街から直線距離で約3~4km程度の位置にあり、金華山・岐阜城からも比較的近い場所です。路線バスは本数がそれほど多くないため、事前に運行時間を調べておくと安心です。タクシー利用の場合、岐阜駅から約15分ほどで到着します。また周辺を通る県道沿いには目印となる店舗もあり、車で訪れる際の目標になります。徒歩で周囲を廻る場合、古墳は公園に囲まれているため安全に散策できますが、道が狭い場所もあるので注意が必要です。
見学のポイントと周辺スポット
琴塚古墳は公園の一画として整備されており、外周の柵沿いから墳丘全体を眺めることができます。墳丘内部は立ち入り禁止になっていますが、外堤や内濠の地形を観察しながら散策することで古墳の構造を実感できます。近くには琴塚公園の案内板や石碑(琴塚御墓碑)があり、訪れる人に歴史を解説しています。また琴塚古墳訪問の際は、近隣の観光スポットにも足を延ばすとよいでしょう。すぐ南東には金華山ロープウェイがあり、岐阜城のある金華山山頂まで登れるため市街地の眺望が楽しめます。金華山山頂にはリス村など家族で楽しめる施設もあります。ほかにも岐阜公園内にある岐阜市歴史博物館では古墳時代の出土品展示がされていることもあるので、歴史好きには併せて訪れると理解が深まります。
まとめ
琴塚古墳は岐阜県屈指の巨大前方後円墳であり、その圧倒的な規模と美しい二重濠は古墳時代の技術力を伝える重要な遺産です。伝承では景行天皇の妃・五十琴姫命の墓とされ、地域の古代文化を今に伝えています。現在も学術発掘は行われていませんが、墳丘には築造当時の二重濠や土塁、葺石・埴輪列の跡が残り、散策して観察するだけでも多くの発見があります。また保存運動で現在の姿が守られてきた歴史も興味深く、歴史・考古学ファンだけでなく地元の人たちにも大切にされています。アクセスは岐阜市街からバスや車で可能で、周辺には岐阜城や歴史博物館などの観光名所もあるので、一日かけて東濃地方の歴史散策を楽しむプランを立ててもよいでしょう。古代のロマンあふれる琴塚古墳は、訪れてこそ感じられる魅力にあふれています。
コメント